先日、「number Web」での那須川選手の記事を読んでから、ずっと気になっていた事があり、それについて書いてみたいと思います。

「練習したことが出たというか、出るまで練習したんですよ。“そりゃ出るよな”って」

 筆者の知る限り、試合に敗れた(勝っても不完全燃焼だった)格闘家のコメントとして最も多いのが「練習してきたことが出せなかった」だ。しかし那須川は練習してきたことが出せる。それは「出るまで練習した」からなのだ。

 だが那須川自身は、特別なことをしているつもりはない。

「結局はやりこむこと、コツコツやることです」

 何か“天才”ならではの特殊な方程式があるわけではないのだ。

「1つのことを覚えたら、前に覚えたことを忘れてしまうことがある。僕は前にやったことも忘れないようにしながら新しいことを覚えるようにしてきました。ずっと、少しずつ足していく作業を繰り返してきたんです」

https://number.bunshun.jp/articles/-/844283?page=2

この記事を読んで、色々思う事がありました。
天才だから特別に変わった事をしているわけではない。
やりこむこと、コツコツやること。
前に身に付けた事を忘れない様にしながら、新しいことを積み重ねてきた。

この「当たり前の事をキチンとこなす」という意識の持ち方を読んでいて、昔、僕が所属していた極真空手城西支部の大先輩である黒澤弘樹選手(2年ほど前に若くして亡くなりました)が、雑誌のインタビュー記事で答えられていた話をパッと思い出したんですよね。

「格闘技通信」という雑誌でしたが、記者が「あなたにとって極真魂」とは何か?」という哲学的な問いをかけたのに対し、

「さあ、何でしょうね・・・」としばらく考えた後に、「当たり前の事を当たり前にやる事じゃないですかね」というふうに答えられました。

それを読んだ時に、凄く心に突き刺さったのを覚えています。
黒澤選手は、大学生の時に全日本大会にデビュー、その試合で並み居る強豪を蹴散らして、いきなり優勝し、天才と謳われた選手でした。

この那須川選手も非常に若いけれど、何かを成す人は、「そういう当たり前のこと、人としての基本」を押さえているんですよね。

確かに才能は大きいと思います。しかし、じゃあ凡人と言われる大部分の人が、このお二人と同じ位の努力を、「当たり前のこと」をきちんとこなしているのか?と考えた時に、恐らく大半の人が出来ていないと思うんですよね。

偉そうに言ってるのではなくて、自分自身もほんまにそうやなって思ったから、この黒澤選手の言葉が、その時の僕の心に突き刺さったんですよね。
だから読んだ瞬間、自分が恥ずかしくなって、「自分の弱さや迷いから逃げずに、毎日当たり前の事をこなそう」って思いました。

このインタビューは緑健児という165センチの軽量級の選手が世界チャンピオンになった大会の後に行われたものでしたが、それも自分にとっては大きかったと思います。

「“小柄だから“なんて言い訳にならない」っていうのを、無差別の世界大会という、結果が全ての世界で証明されてしまったんですよね。しかも同じ年に、大道塾の無差別の北斗旗大会で、軽量級の加藤清尚選手が163センチの体格ながら全日本チャンピオンになったんですよ。

元論、二人とも凄い才能はお持ちやったんでしょうけど、無差別の空手の試合において、軽量級の体格は絶対的に不利な訳ですからね。
「ああ、もうこれから体格は絶対に言い訳に出来ひんわ~」って、心に刻み込まれました。

そして、このお二人の活躍を見て、後にシュートボクシング、K1フェザー、K1-MAXで大活躍する村濱選手が「東京に出て本気で格闘技に取り組むぞ」っていう決心をしたという話を後に雑誌のインタビューで読みました。村濱選手は、当時は高校生で学校で柔道部、その後 家に帰ってから空手の道場に通うという毎日を送っていたそうです。

村濱選手は163センチだそうで、この体格で東京に出て本気でやっている連中の中で生き残れるのか?と考えていたところに、この二人の選手の活躍を見て決心したのだそうです。

そして、村濱選手のその記事を読んで、当時の僕はまた同じようにショックを受け、ちょっと落ち込んだというか、考え込まされたんですよね・・・。
「あの時に、同じ雑誌を読み、同じ様に衝撃を受けて、それから同じ年数を過ごしたにも関わらずこの差は何なんや・・・」って。

あ、当時は、自分なりに毎日本当にヘトヘトになるまで頑張ってたので、少し落ち込んだ後は、自分の中で消化し昇華も出来ましたが、今となってはその差は

「俯瞰する能力(メタ認知)の差」やったんやな、と自分の中で答えが出ています。
「人生=努力(エネルギー)×方向性(ハンドル捌き)」で決まるのだと思います。
ハンドルの方向を決めるには、自分を客観し出来る能力が欠かせないんですよね。

当時の僕には、本当の意味での客観視、俯瞰する能力が無かった。
地図の中で、自分がどこに立ち、どこに向いているか?を、キッチリと認識する能力が欠けていた。その差が出てしまうんですよね。

朝倉未来選手も同じでその能力が凄い。肉体的な能力だけが、武道やスポーツの才能ではない。
「とちらかというと、この俯瞰する能力の方が大きいんだろうな」というのが、僕の武道・格闘技、そしてスポーツトレーナー、障害児・者への運動療法を指導してきた中での、現時点での結論ですね。

そしてタイトルにした、極真魂ですが、それに当てはめると、その当たり前の事、つまりこの「人生=努力(エネルギー)×方向性(ハンドル捌き)」の方程式の中で、自分に欠けているものをキチンと分析し、その穴をしっかりと埋められること。

それが極真魂という事になるのかな、と思います。

城西支部の山田先生の言葉でいうと、これ、よく内部試合とかでも言われていた言葉なんですが、「殴られたり蹴られたりするのを我慢する。それは根性でも何でもない。

相手が突いてくる、蹴ってくる。その時はきちんと受けろ。当たり前の事が出来ていれば、不必要な我慢は要らないんだ」という感じでしょうか。

人として当たり前の事を、毎日しっかりとこなしたいものですね。

投稿者プロフィール

岡本
岡本マーシャルアーツアカデミー代表・空手クラス担当
東京の大手フルコンタクト空手の道場で長年修行。
空手修行の一環としてボクシングやキックボクシングも学び、プロライセンス取得・試合も経験。
道場での指導の傍ら、ボクシングトレーナー、フィジカルトレーナーとしても活動しています。
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