先日の日曜日、福井県へ空手の試合のセコンドで行ってきました。
その日は、この上ない快晴の日曜日でした。

そんな日曜日、沢山の人がフルコンタクト(直接打撃)のド突き合いをしに、やって来ています。

この人達は、一体何が楽しくて、せっかくの日曜日を潰して、憎くもない相手と殴り合い、蹴り合いしに来ているんやろ?

それでお金を貰えるならまだしも、自分がお金を払ってですからね(笑)
自分自身も長年やってたんですけどね、でも本当に不思議。自分が現役でやってた時も、我が事ながら本当に不思議で、いつも自分の心に問い掛けていました。

「何で自分は長年、こんな事やってるんやろ?」

決して、人を殴るのが好きでやってる訳ではないんですよね。
見た目は確かに、相手を思い切り殴り、蹴っているんですけどね。
でも、本当に闘っているのは、自分。
自分自身の弱い心。
弱くて、醜くて、卑怯な自分。
そいつをやっつけたくて、そんな弱い自分に負けたくなくて、必死で闘っている。

お互いに、その醜くて大嫌いな自分を、相手に身代わりになって貰って。
たった一人で自分自身の醜い内面と向かい合うのは、辛くて苦しいから、相手にその役割りを演じて貰っているんやなと思います。

そして、試合中だけでなく、試合までの稽古の段階においてもそうなんですが、弱い自分と向き合って逃げずに闘えた時、少し胸を張れる様になる。そして自分の事が少し好きになれる。
そんな心の旅をしているんだろうと思います、この会場にいた皆さんも。

一言で表現するなら、桃太郎の鬼退治ならぬ「弱い自分退治(「対峙」でもありますね)」って感じでしょうか。
人によっては、そのための手段がサッカーやったり登山やったり芸術やったりするんでしょうけどね。

何で他にも色々な手段がある中で、わざわざ自分の肉体を傷付ける事を選んでいるんやろう?って気もするんですけど、多分 痛みがある程、真剣味が増すからなんやろうなあと思います。

よくそういう事を言うと、「それってマゾなん?」って言われたりするんですけど、それは逆でSなんですよね、少なくとも僕の感覚では。

弱い自分、醜くて卑怯な自分を思い切り痛い目に合わせるのが、快感なんだと思います。

「この弱虫の卑怯者め、死んでしまえ!」って感じです。

弱虫でみっともない自分を、自分の心の中から追い出したい。勿論、一旦は受け入れた上で、ですけど。
でもその感覚を理解し難い人から見たら、やっぱりちょっと変態かもしれませんね(笑)

投稿者プロフィール

岡本
岡本マーシャルアーツアカデミー代表・空手クラス担当
東京の大手フルコンタクト空手の道場で長年修行。
空手修行の一環としてボクシングやキックボクシングも学び、プロライセンス取得・試合も経験。
道場での指導の傍ら、ボクシングトレーナー、フィジカルトレーナーとしても活動しています。
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