時代劇とかを見ても、昔のサムライのイメージって、単に武道が強いだけでなく、教養があったり、文化の香りがする様なイメージがあると思います。

さらに、合戦で人を殺める事もあるから、人の生き死にに対して頭ではなく体で理解している、そんな神仏を尊ぶ宗教性も兼ね備えている様なイメージもあるのではないでしょうか。

そういう武士がいた時代って、そんなに昔事ではないはずなのですが、随分 変わってしまいましたね。

先の大戦での特攻隊の方々の遺書を見ても、彼らの遺書は書もその内容もレベルが全く違う、人間の格の違いを感じさせられます。

翻って、現代の武道家のイメージはどうかというと、そういうかつての武道家、サムライのイメージからは程遠い気がするのです。

空手や柔道なんかは、もう筋肉ムキムキの超健康優良児がやってる様なイメージになっていますよね、別にいい悪いではなく、事実として。文化的、ましてや宗教的な香りなんてもう何処にもない様な感じ(笑)

でもまだ剣道や弓道には、少しそういう雰囲気が残っている様な気がします。古流の剣術なんかは、もっとある感じがしますね。

僕自身も古流の柔術は習った事があるのですが、現代の競技武道とは明らかに道場の持つ香りが違い、これこそ自分が子供の頃に憧れていた武道の雰囲気だと感じました。

だからといって、今の競技武道が悪いのではなく、試合という人前で晒される舞台で、ルールの中で自分の現時点での実力を見せつけられるのは、甘ったれて生きていられる現代においては非常にいい経験であると思います。

僕自身も試合で育てて貰った部分は凄く大きく、そういった場にはとても感謝しています。

ただ、試合偏重になり過ぎな部分は少し問題で、だからこそ普段の道場における稽古においいては、激しい稽古だけではなく心を静める稽古、己の内面を見詰める稽古、心術というものも並行する事が必要なのではないかな、と考えています。

僕は数年前から、書道を習っているのですが、それは今 書いた様な、自分が持つ武道本来のイメージに自分自身が近付きたいという想いと、生徒が免許皆伝した際に、下手であっても自分自分が心を込めて手書きで免状を出してあげたいという想いがあります。

それにプラスして、近い内には稽古の終了後にでも少し書を嗜む経験が出来る時間も作りたい、そんな思いもあります。

昔のサムライが何かあった時に筆を取り、さらさらっと短歌や俳句を詠む様な、そして人生を終える時には、辞世の句を詠める様な、そんな人間を生み出せる道場を目指したい。

時代遅れも甚だしいとは思うのですが、そんな文化の香り溢れる道場にしていきたい、と考えています。

今の日本に一つくらい、こんな時代遅れの道場があってもいいと思うんですよね~。

投稿者プロフィール

岡本マーシャルアーツアカデミー代表・空手クラス担当
東京の大手フルコンタクト空手の道場で長年修行。
空手修行の一環としてボクシングやキックボクシングも学び、プロライセンス取得・試合も経験。
道場での指導の傍ら、ボクシングトレーナー、フィジカルトレーナーとしても活動しています。
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