日々、指導をしていてつくづく感じる事なのですが、人って「地ならし」をきちんとしておいてあげると、飛躍的に成長していきます。

この「地ならし」があるのが、武道や昔ながらの稽古事の特徴で、一見すると何のためにやっているのか分からない、全く意味のなさそうな動きを行います。

とにかく結果を急いで求める、せっかちな現代人には嫌われてしまうこういった「基本」ですが、これをきちんと行っていると「天才」まではなかなかいきませんが、「プチ天才」、あるいは「センスあり!」位の人には誰でもなれてしまいます。

昨日の指導でも、「後ろ蹴り」がなかなか上手くいかない道場性が、組手立ち(試合等における構え)ではなく、両足を揃えて行う「基本の立ち方」での動きを何度か行ったら、あっさりと上体が崩れてしまうでクセが修正されました。

本人の努力は勿論なのですが、でもこの同じ努力を同じ時間、「組手立ち=競技で行う実戦形式の構え」で行っていたらずっと解消されないんですよね。

これは、僕自身が何度も経験してきましたが、実際に使う形で何度も繰り返していても、体の中の感覚、神経回路というものが、作れない。表面の動きばかりを行ってしまうから、体幹の中の「電気の通り道」にいつまでも気付けない。

ところが、基本稽古の意味を伝えた右手で、ポイントを押さえてきちんと反復稽古を繰り返すと、あっさり直ってしまう。

いわゆる競技用の練習といわれるものは、農作業に例えると、木の上に出ている部分に栄養を上げたり、薬を塗ったりしている様なもの。それが悪いのではなくて、その部分は基礎・土台の部分が出来ている人にこそ有効なもので、基礎工事が出来ていない人には意味がない。天才はそれが最初からインストールされているから必要ないんですけどね。

凡人は、まずその「身体の基本操作」というアプリをインストールする必要がある。それを入れれば、体全体が上手く機能する様になります。

イチロー選手の動きを野球の初心者がやったって、それはさすがに意味がないって分かるじゃないですか。イチロー選手を目指すのなら、彼が初心者の時にやっていた練習メニューをやるべき。

あるいは自分の才能を考えれば、その練習ですら、もしかしたら高度であるかもしれない。そうであれば、そこまでの地図をしっかりと頭の中にイメージして、そこへ行くための道筋をしっかりと考える必要がある。

そのためのナビゲーションシステムが、武道、昔ながらの稽古事の基本である。

それを道場生の変化を見る度に、それをひしひしと感じます。

天才にはなれないかもしれないけれど、特に才能のない凡人であっても、そのナビゲーションシステムに従えば、「そこそこ使える人・出来る人」になれる。そんな夢の様な、素晴らしい財産が、武道にはあります。

職人の世界に伝わる「技」も同じだと思います。昔の日本人の素晴らしさって、「技術を独り占めしない」「後世に伝える」という意識が高かった事なんじゃないかなと感じます。

本当に昔の人に感謝ですね。

 

投稿者プロフィール

岡本
岡本マーシャルアーツアカデミー代表・空手クラス担当
東京の大手フルコンタクト空手の道場で長年修行。
空手修行の一環としてボクシングやキックボクシングも学び、プロライセンス取得・試合も経験。
道場での指導の傍ら、ボクシングトレーナー、フィジカルトレーナーとしても活動しています。
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