武道やトレーニングを教えていると、自分を磨くっていうのを「自分を鍛える」とか「根性をつける、我慢が出来る」みたいな風に一方的な考え方している人が多いな~と感じる事が多いんですよね。

僕も昔はそう考えてたし、それも間違いじゃないというか、半分正しいんですけど、でもそれはたった半分でしかないんやって思っています。

努力や根性、それは絶対に大事やし、人生において必修科目みたいなもん。

でもそれだけじゃ、人生を生き抜くには全然足りない。

なんぼ根性あったって、性格悪かったら、もうほんまに台無し。

それなら、根性無くても性格がいい方が多分、幸せになれる。周りの人と協調出来る分だけ。

僕はずっと縦社会に居たから、根性や我慢が美徳やと思って育ってきた方けど、現実に社会を見ていて武道や格闘技やっててめちゃくちゃ根性あるのに、何故かあんまり幸せじゃない先生や先輩方がいるのを数多く見てきました。それで思う様になったのが、「性格の悪さ(歪み)は不幸を呼ぶ」って事です。

自分の為、と必死で努力してきた物凄い根性ある人が、なぜ幸せになれないのか?

単純な話で、自分の事しか考えられない、自分の事しか眼中に無いから。

視野が物凄く狭い、心が狭い。

何事を行うにも、必要な努力や我慢はあるけれど、世の中の事は一人だけで出来る訳じゃないし、何より社会は大勢の人で成り立っている。

そこを考えられない、全体を見る能力が無いのは、世の中を生きて行く上で、致命傷となる欠点やと思う。

全体を見る能力を磨くには、「我よし(自分だけがよければいい)」の物の見方や姿勢を改めて、全体の調和を見られる本当の意味での素直な目を磨く事。

つまりは、性格をよくする事。

 

現代人って「性格がいいと損をする」って思い勝ちというのか、そういう教育、いや洗脳を受けているんですよね~。 そんなわけなくて、性格悪かったら損をするし、性格良かったら人が集まってきて、結果知恵も集まってきて得をするんですよね。

性格いいと損をするって思ってる人は、実は本当は性格が悪いから損をしているだけ。 「本当に性格がいい」のと、「性格がいい振りをしている(我慢して「性格がいい振り」をしている)」のを勘違いしているだけ。つまりは自分にも他人にもウソをついている。

「性格がいい=弱い」訳じゃない。その真逆で、性格がいいっていうのは、あらゆる事を自分にとって本当の意味でプラスに前向きに取り入れる確固たる「意志の強さ」を持っているという事。

「性格がいい=本当に強い」って事だ。

だから、弱い人間は性格がよくはなれない。

そういう意味で、人間は最初の段階で、心を強くする為に、自分を鍛える、辛い事を我慢する訓練も必要。

でも、その土台になる部分を身に付けたら、次は全体を見る目、周囲の調和を見られる広くて深い心を身に付ける事が大事なんだと思う。 「弱いのに優しい振りをする」のは、嘘つきだし、思い上がり。優しさの土台になる強さが無いんだから、そのままではいつか自分が壊れてしまう。

でも、ある程度の強さを持っているのに、いつまでも自分の強さや幸せばかりを求めているのは、ケチなだけ。

もっと、周囲の人の幸せを考えなさいっていう段階に入るべき段階なのだと思う。

優しくなりたかったら、強くなりなさいっていう教えは、本当に大事で、人間にとって必要な物事の順番を教えてくれている言葉なんやと思います。

まあ、優しいからその優しさを発揮する為に、土台になる強さを求めるとも言えるし、逆もまた真なり、というか卵が先か鶏が先かっていう話なんでしょうね~😃

投稿者プロフィール

岡本
岡本マーシャルアーツアカデミー代表・空手クラス担当
東京の大手フルコンタクト空手の道場で長年修行。
空手修行の一環としてボクシングやキックボクシングも学び、プロライセンス取得・試合も経験。
道場での指導の傍ら、ボクシングトレーナー、フィジカルトレーナーとしても活動しています。
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